多くの人は自ら自由な生活を捨てている

THE TOMA LETTER

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25歳にもなれば誰でもある程度の自由を手に入れる。
しかし、多くの人がその自由を簡単に放棄して、自分は自由じゃないと文句を垂れるようになる。

親元を離れて一人暮らしをして数年、
自分で稼いでそれなりの給料をもらって数年、
社会人のリズムにも慣れて、金銭的にもある程度の余裕ができてくる。

就活のプレッシャーもなければ、生活に口を出してくる親もいない。
どれだけ夜更かしして何時間TikTokを見ようが、
朝からピザを食べようが、
ジムに行かずにダラダラしていようが、
誰も指図してこない。

旅行にだって、休みさえとればいつでも行ける。

子供の頃に憧れた”自由”は全てここにある。
親の束縛から、最低限の金銭的な束縛から、抜け出したいま、
あなたを止めるものは何もない。

でも、現実として「自分は自由だ」と感じる人はかなり少ない。
これは多くの人が「選択肢を持つ自由」を本当の履き違えていることに起因する。

僕自身、割と最近になってこの『履き違え』をはっきりと自覚し、頭の中で整理することができた。

アメリカでプロダクトマネジャーとして働いておよそ3年経った時、レイオフに合った。
ビザの更新などが重なり、アメリカで就労できない期間ができてしまい、何もないアメリカの田舎で毎日24時間の”完全に自由な時間”ができた。

ボスからの指示はないし、毎日9時からのスタンドアップもないし、ビザの手続き等の最低限のもの以外は特にこれといった義務もない。

では、この”完全に自由な毎日”の中で、本当にフリーダムを感じたかというと、別にそうでもない。
むしろ、しばらくはなんともいえない、何をしたらいいかわからない状況が続き、逆に不自由に感じるまであった。

ただこの時に得た無限に思える時間にぼーっとしていた時に一つのことに気づく。

ほとんどの人がなんとなく自由は時間や選択肢を持つことだと思っているが、実際は本当の自由は他にあるということに。

本当の意味で自由な生活

このコンテクストでの自由には大きく2つの自由がある。
これが『選択できる自由 (Availability Freedom)』と『選択する自由 (Agency Freedom)』の2つ。

似て非なるこの2つの自由を履き違えると、自ら自分で自由を手放すことになる。

『選択できる自由』とは、つまり制限からの解放のこと。
子供として親の庇護下に合った時には門限、お小遣いをはじめ、習い事や通う学校などといった制限からの解放。

そして、『選択する自由』とは、つまり『選択できる自由』を行使すること
自分の頭で考え、自身の決断と行動を他に委ねることなく、自分で選びコントロールし、そのすべてに責任を負うこと。

いうまでもなく、本当の意味でのフリーダムを与えてくれるのは『選択する自由』であり、多くの大人が自由を感じない理由は『この選択する自由』を行使せずに、放棄しているからである。

「自由でない」と感じるのは環境のせいでも親やお金といった制限のせいではない。
問題は、自分の自由意志で思考し、選択肢を整理、吟味し、決断、そして行動していくことを放棄した自分にある。

無数の選択肢が与えられようが、それを自分の意思で選ばずに流されて、他人や社会に言われたままに行動していては、どれだけ選択肢という意味での自由が増えようが一生自由ではない。

そして、このイマイチ自由でないと言った感覚に嫌悪感を覚えるのは、あなたがそこになんとなく見えている可能性に近づきたいと思っているのに、それに向けた決断や行動を行っていないから。

つまり、いってしまえば『選択する自由を行使する=自分で決断し行動を起こす』ことであり、なんとなく不自由で不満を感じると言った状況を抜け出すには、自分で決断して行動していくしかない。

ここで冒頭に戻るが、25歳にもなれば人生のあらゆる面において、圧倒的に選択できる択が増えることで、それだけ決断が億劫なものになったり、一つの決断をすることで捨てることになる選択肢が多くなる。

こういった理由から、多くの選択肢が見えていながら、なかなか現状から抜け出してより良い択をとるという決断をしてそれに向けて動くことが難しくなる。

結果、「自由なはずなのに不自由」という違和感を抱えたまま日々を過ごすようになる。

逆にいえば、いつの間にか惰性に流されていた自分を引き戻して、自律的な決断を積み重ねて積極的に選択する自由を行使していけば、「惰性でなく、自分で推進していく生活」を取り戻せる。

ここからは、そんな生活を取り戻すための自律的な決断を少しでも簡単にするための視点と戦略をシェアしていく。

自由への鍵は毎日の小さな選択

選択する自由を行使すると言った意味での決断もあくまで身につけられる一つのスキル。

他のスキルと同じように小さな練習の積み重ねをすることで、身につけていける。

自律的な決断をするというと何か人生での大きな決断をしないといけないように聞こえ、それだけでものすごく億劫に感じるかもしれないが、最初から大きな決断を下すことばかりに意識を向けなくていい。

転職するか、起業するか、引っ越すか、留学するか
のような人生を変えるような大きな決断は実際に存在するし、
これらを下さないといけない時もある。

でも、現実にはそんな大きな決断を毎日できるわけではない。
そして、大きな決断もまた、小さな選択の積み重ねでしか成立しない。

たとえば、「朝型になる」という決断をしたところで、

「夜更かしをするか早めに寝るか」
「朝アラームを止めて二度寝するか」
「朝起きてスマホを開くか、顔を洗うか」

のような小さな決断を下せないと意味はない。

後から見れば大きな決断となるようなことも、「今この瞬間にすぐに結果に影響を与えれる行動を起こす」
という小さな選択を自分で選び続けることでしか形をとらない。

つまり、選択の自由の行使する力、決断力の正体とは、結局のところ「小さな選択の反復」に他ならない。

そして、これらの小さな決断は必ずしも大きな決断を必要としないのもまたいいところ。

誰もが定期的に、起業をするか海外留学するかと言った重大な決断をする必要はない。

今例に挙げたように、朝方になりたい、少し痩せたいなど、軽いことでもなんでもいい。

重要なのは自分の意思での行動が全くない「なんとなく」の自動操縦生活を避けるために、小さくてもいいから毎日の中で1つでも2つでもいいから、アクセスできる情報や自分が持っているリソースをもとに自分の中で納得できる決断を小さくてもいいから積み重ねていくこと。

これだけで、本当の意味で自由な日々に確実に近づける。

僕らが「自由じゃない」と感じるのは、
選択肢がないからじゃない。
選択する習慣が、日々の中で失われているからだ。

何かを選ぶたびに、他の可能性を捨てなきゃいけない。
だから決断が怖くなる。
でも、人生はいつだって「今ここでの小さな選択」の連続でしかない。

未来を変えるような大きな決断も、
今この瞬間の小さな選択の積み重ねでしか作れない。

選択できる自由は、誰にでも与えられる。
でも、選択する自由は、自分の手でしか取り戻せない。

その自由を取り戻すのは、
「今日は朝5分だけ早く起きる」
「スマホを手に取る前に、一回深呼吸する」
そんな一見しょうもない選択を、自分の意志で積み重ねていくことだけ。

惰性の人生から、自分で推進する人生へ。
まずは目の前の小さな決断と行動から。

僕らが「自由じゃない」と感じるのは、
選択肢がないからじゃない。
選択する習慣が、日々の中で失われているからだ。

何かを選ぶたびに、他の可能性を捨てなきゃいけない。
だから決断が怖くなる。
でも、人生はいつだって「今ここでの小さな選択」の連続でしかない。

未来を変えるような大きな決断も、
今この瞬間の小さな選択の積み重ねでしか作れない。

選択できる自由は、誰にでも与えられる。
でも、選択する自由は、自分の手でしか取り戻せない。

その自由を取り戻すのは、
「今日は朝5分だけ早く起きる」
「スマホを手に取る前に、一回深呼吸する」
そんな一見しょうもない選択を、自分の意志で積み重ねていくことだ。

惰性の人生から、自分で推進する人生へ。
そのスイッチは、いつでもあなたの手の中にある。

Claim agency. Claim freedom.

ー Toma

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